畑で哲学する農民詩人                

笠原 眞弓

 20年くらい前までは、私の身の回りには、友だちとか、知り合いと言える農家は、皆無でした。でもある日、百姓と自称する人に出会いました。素晴らしい人でした。それから次々出会う方出会う方に大きな刺激を受けてきました。
最近出会ったお百姓さんは「戦争の終わった後(第2次世界大戦)農村がしっかりしていたから、復興した。だけど、次にあのようなことがあったら、どうなるか。今の農村にはあの力がない。だから自分は頑張って農業を続ける」と。
また40年自然農法で田畑を作ってきたおじさんは、「土はつくるのではなくて、育てるのだ」といったのです。農作業をしている人たちは、田畑で、哲学していると。こいうお百姓さんがいなくなったら、日本はどうなってしまうのでしょうか。農村には、さまざまな問題が押し寄せています。農政の失敗の尻拭いもしているとも聞きます。その中で、自分たちのできることで、農村を何とか持ちこたえようとしている人々があちこちにいます。

 木村迪夫さんは、そういう農夫の一人です。「農民詩人」。ずうっと憧れの人でした。はじめは、お百姓さんで詩人だから。でも、映画を観たいまは違います。詩を書くことを含めて、全部です。15歳の時から、1行でもいいから毎日、あふれ出る思いを書きとめてきた人です。でも詩を書くから素晴らしいのではないのです(当たり前ですが)。つまり、詩を書く感性があるということです。詩を書くことで、さらに感性が研ぎ澄まされていく。また彼は、あたりを見渡す眼力をもっていました。青年達のリーダー的存在でもあったのです。

 昔から、ずうっと昔から、日本の百姓は、あるいは世界の百姓は、素晴らしい感覚を持ち、行動力を持って日々生活していたに違いありません。
そういう感性の持ち主が、私たちの食べ物を作ってくれているのです。私たちの体は、隅々まで、爪の先も髪の毛一本も、腸の壁も脳の襞も、すべて食べたもので出来ているのです。その食べ物を作ってくれるのが農家。その人たちの生き方に、心底感動するのです。

 考えてもください。11歳で、父親を戦争で亡くしたのです。当時の東北の農村は、だれもが生きるか死ぬかで周りにやさしくしている余裕がなかったのです。男手のいない小さな農家は、あらゆる場面で苦労したとか。その中で木村さんは「いつかこの理不尽は取り返そう」と、強くなっていったようです。
それまで皇国の母だったおばあさんは、3日泣いて暮らし、4日目に涙を拭くと、お蚕作業に取り掛かります。しかも、御詠歌のように自作の歌を唄いながら。字の書けない、楽譜の読めないおばあさんは、働きながら歌っていました。
「ふたりのこどもをくににあげ/のこりしかぞくはなきぐらし/よそのわかしゅうみるにつけ/うづのわかしゅういまごろは/さいのかわらでこいしつみ」

 おばあさんの詩は、「にほんのひのまる/なだ(何故)てあかい/かえらぬ/おらがむすこのちであかい」とつづきます。
戦争が奪う命、またそれらの人々によって支えられる命。木村さんは、つらい生活の中で戦争の無意味さを実感すると同時に、叔父の戦死した国マーシャル諸島へ遺骨収集に参加したり、父親の戦死した中国を訪ねています。それは自分を納得させる旅でもあったし、鎮魂でもあったと思うのです。そして、父親の残した10個の勲章を前に、「つまらんもんだね。一生棒に振って、こんなもんもらって……」とぼそっと語るのです。

 戦後の日本の大多数が生き、生活した農村の木村迪夫さんを追うことで、東北の貧しい農家の生きてきた70年の道のりを見せてくれます。農地解放があり、食糧増産、高度成長期の出稼ぎ、押し寄せる減反そして過疎の問題と農村の戦後史そのものであると同時に、そこから、これからの農村も見えてくるのです。山の、田畑の、農民の無音の叫び声が、私たちの耳に聞こえてくるのです。

 映画の中で、木村さんの友人でもある地元の絵描きの草刈一夫さんが蔵王の絵を描いていました。場所を決めると、畳2枚を横に並べたような板に紙をはり、たっぷりの墨を筆につけ、何の迷いもなく端から蔵王の稜線を描きはじめました。草刈さんの中では、蔵王は血肉になっているのでしょうか。稜線の襞の一つひとつがすでに網膜に張り付いているかのようでした。木村さんが、風土が育てた詩人なら、風土が育てた画家草刈さんの蔵王の絵も何と力強いものでした。
そして、この映画にかけた原村政樹監督の情熱にも、脱帽でした。

 

 

 

 

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